「主権回復の日」と「GHQ」と小さいときの記憶

今日4月28日は「主権回復の日」だそうです。

沖縄などではいろいろ反対もあったようですが、そんなにすべてを満足させられるような政府式典など出来ないのでは!

ならば、少なくとも自分の国の主権を自覚できる日として何か行動を起こさなければならないのなら、

「主権回復の日」も良いのでは!

 

ところで、1945年(昭和20年)8月14日に日本政府が受諾通告したポツダム宣言で終戦を迎え、

61年前(昭和27年(1952)4月28日)に「サンフランシスコ講和条約」をもって日本は戦後から自立したことになっているが、

たしか私の記憶では昭和29年までは「GHQ]がいたわけですから、実際の主権回復にはまだまだ長い年月要することは容易に想像できたはずですが?

 

ま、それはそうとして、昭和24年生まれの私は「GHQ]を知っています。

自宅の近くに国道1号線が走っていました。

大津には進駐軍がいて(たしか今の大津駐屯地)、沼津の駐屯地へよく国道を幌が付いた軍用トラックが走っていたように思います。

私が小さい当時は小学校には「分団」と言うのがあって、高学年が低学年や幼稚園児を仕切っていました。

その影響で私が4才か5才の時地元の子供のリーダーがいろんな遊びなどを仕切っていました。

 

あるとき、国道の側の法面にみんな寝ころべと指示されました。

そこに進駐軍のトラックが通ると全員で

「ヘ~イ、チューインガム・チョコレート」と大声で叫ぶんです。

すると確かに「チューインガムやチョコレート」を投げてくれるんです。

 

その場面だけが記憶に残っています。

 

昔こんな話を子供にしたら、

「お父さん歳ごまかしてるんと違う?と笑われました。

いやいや、昭和20年代はそんな時代だったんですよ!

 

それを証明するような小さいときの写真が実家にあります。

それは私の写真なのですが、2・3年くらい同じ服を着ていた写真です。

最初の写真は、だぶだぶの服を着てかまどの側で釜から直接ご飯を食べているもの。

次の年は一応それなりに体に合った同じ服を着た写真。

そして最後はぴちぴちの同じ服を着た写真です。

周りも同じような状況(勿論お金持ちは別ですが)だったので大して気にしていなかったでしょう、多分(笑)

 

そう言えば、冬になると服の袖をコベコベにした子供(私も)がたくさんいました。

そうです、ティッシュやハンカチなど持っていなかったので出てくる鼻水などを服の袖で拭くので、袖がコベコベになるのです。

 

そんな時代を思い出すと「主権回復の日」も大事なのではと強く思います。

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